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【連続ブログ第3回】

2020.07.18

第三回 時代はめぐる……

20代半ばから後半に大学院に入って研究をスタートさせる人が多いと思います。もし定年まで研究を続けるとなると30-40年間研究の世界に身を置くことになります。(定年まで第一線で研究が続けられること自体が実はとても幸せなことですが)私もこれで35年ほど研究をしてきたことになりますが、確実に言えることは10-20年の周期で「時代は変わる」ということです。従って、皆、現役時代に2回くらいは時代の変わり目を経験することになります。

私が研究の道に入った80年代半ばは、それまで神経研究の中心を占めていた「生理学」や「解剖学」の時代が曲がり角に来ていた頃でした。その中で私はその「古典的な神経生理学」を習うことから始めました。しかし、当時起きていた大きなうねりの中心は分子神経生物学の勃興でした。京大の沼先生の研究室を筆頭に、分子クローニングの手法を使って神経系の機能の鍵となるタンパク分子の構造が次々と解明され、その機能を発現系で解析する。そして90年代に入ってからはその分子をノックアウトすることで「個体における機能」を明らかにするというパラダイムが世を席捲しました。生理学もそれにあわせて、より感度と純度の高い培養細胞やスライス標本においてパッチクランプ法を用いて解析を行うことが「エレガントなサイエンス」とみなされるようになり、「ビボで電気生理」をやっているなんていうのは「まだそんなことやってるの?」と言われるような時代遅れ感があり、また解剖学にしてもトレーサーを注入して形態を解析するなんていうのは「時代遅れの職人芸」で、「遺伝子から入ればそんな職人芸なんてもう要らない」と言われるような時代の雰囲気でした。私の世代の生理学者や解剖学者には何らかのかたちでそういうことを言われた「トラウマ」のようなものを抱えている人が少なくありません(?)。当時は、自分がクローニングした遺伝子の機能をノックアウトマウスで調べる分子神経生物学者の独壇場(生理学者はそういう人たちに機能解析のために使ってもらう)のような時代で、それは10数年続きました。

その傾向が変わってきたのがいわゆる全ゲノム解析が終わった世紀の変わり目の頃で、その頃から研究の標的は分子から細胞・シナプス、局所回路、大域的回路、そして個体へと移っていきました。その流れを決定づけたのが2000年代半ばの光遺伝学の開発で、その後、神経科学のターゲットは再度ビボでの機能となりました。その過程で解析手法もより高度に洗練化されてきました。少し前の「アッセイ系としての生理学」ではもはや通用しなくなり、多チャンネル記録法、自由行動下での神経活動のイメ―ジング、細胞内での分子の挙動を検出するための様々な手法が開発され、さらに大規模なデータを効率よく解析してそこから情報を抽出してくるスキルが求められるようになりました。また、ウィルスベクターが重要な位置をしめるようになり、「脳の中に正確にウィルスを注入する技術」がまた大変重要になって来ています。論文も分子のクローニングだけではとても雑誌に載ることはなくなり、最近では個体での機能、また疾患の病態との関連を相当に高いレベルの解析手法で示すことが2010年代以降の神経科学研究に要求されるようになっています。

このように、私は少なくとも2回時代の変化を経験したことになります。時代は予想を超えて速く回りました。若い頃は、何となく時代遅れないしは時代を後から追いかけている感があり、苦しい思いを常に感じてきましたが、今日の「個体」を対象とする時代にそれなりに乗れているのかなと思います。一方で心しておかなくてはいけないのは、時代はまたすぐに変わるだろうということです(次はビッグデータ、人工知能でしょうか?それとも?)。そこでこういう経験をもとに特に若い人たちに言いたいのは、「あなたの先生の成功体験はすぐに古くなる」ということです。私は、「先生の忠実な弟子であった人で時代の変化に対応するのが遅れて苦労している」という事例を少なからず知っています。私も最初はそうでした。勿論「大事なことは捨ててはいけない」のです。しかし、「大事なこと」を受け継ぎつつ、時代の展開にあわせてあなた自身がそれを変えていく力を持たなくてはいけません。それができた人が時代の変わり目を超えて研究者として生き残り、成長し続けることができるのです。(伊佐)

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